2011年10月16日から、このブログを書き始めました。 サマゴーンは、ラムカムヘン通りの北、ソイ110に位置する、 バンコクでも歴史が長い有名大住宅街(と言われているよう)です。 戸数、5000の、キング・プロジェクトで開発された、かなり大きなムー・バーンです。 ロングステイを一歩踏み込んだ生活となりましたので、 都心から離れ、しかし、まったくの田舎暮らしでもない、こういうところもいいのか、 と思って住み始めました。 さて、どんな生活になることでしょうか。

2016/02/02

天皇陛下のフィリピン訪問


木更津図書館から借りてきた、

乙川優三郎『脊梁山脈(せきりょうさんみゃく』を読む。

物語は、著者お得意の江戸「時代小説」ではなく、

太平洋戦争後の激動期のお話し、

上海に留学中、兵役につき少尉までなった男が復員し、

貧窮の母のもとに戻るが、

幸い、叔父の遺産を継ぎ、利子で暮らせる遊民となり、

こころの空白をうようと、古き良き日本の姿を求めて、

木地師の過去、現在をたどり図録を残すの10年間の生活のなか、

新しい女・佳江(画家)と伝統の女・多希子(三絃の芸者)の

二人の女の間を揺れ動く物語。


この中で、戦時の大空襲や、戦後の引き上げや、

各地に残された戦犯兵士のエピソードが語られる。

主人公の弟が、フィリピンで戦死、の報を受けているが、

母はそれを信ぜず、

あくまでも次男がフィリピンに戦犯でとらえられているか、

まだ野に隠れているか、

との願いを抱いている。

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新聞記事にフィリピンの軍事法廷の判決や、死刑を待つ戦犯の

手紙を見つけて、望みをつなぐ母・・・

「学徒兵が戦犯なんて、どうかしている」


・・・・


歌手の渡辺はま子がフィリピンに渡り、モンテルンパのニュービリビッド

刑務所に抑留されている日本人戦犯を慰問したという。事実なら、減刑と

釈放へ向けての特攻作戦ともいうべき快挙だった。

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天皇陛下が、フィリピンで開いた晩餐会に、

戦後当時の大統領のお孫さんを招待して、

その大統領が与えた、日本人BC級戦犯にたいする特赦解放の

お礼を述べた、

という記事を読んだとき、

ああそういうことがあったんだなぁ、

親日大統領だったんだ、良かった、

と単純に思ったのですが、

この小説の中の小さなエピソードを読んで、

そんな単純なものではない、

それを勝ち取るための、長く地道な願いの闘いがあったんだ、

と知りました。

フィリピンで死した日本人51万人、

巻き込まれて死したフィリピン人110万人、

この死者の数字を思うとき、

大統領の決断も、たやすいことではなかったであろう。


天皇陛下は、晩餐会で、

戦闘に巻き込まれた現地の人の犠牲に触れ、

「私ども日本人が決して忘れてはならないこと」

と言葉に表した。


「決して」を、実感として受け取っている日本人が、

どのくらいいるのであろうか。


日本が、国交施策において、

フィリピンに対を最恵国あつかいにして、当然、

という思いがする。

その背景をも、忘れないように、したいものだ。








^O^


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