2011年10月16日から、このブログを書き始めました。 サマゴーンは、ラムカムヘン通りの北、ソイ110に位置する、 バンコクでも歴史が長い有名大住宅街(と言われているよう)です。 戸数、5000の、キング・プロジェクトで開発された、かなり大きなムー・バーンです。 ロングステイを一歩踏み込んだ生活となりましたので、 都心から離れ、しかし、まったくの田舎暮らしでもない、こういうところもいいのか、 と思って住み始めました。 さて、どんな生活になることでしょうか。

2015/09/26

美しい老年のために  中野孝次


枕元に積んであった本を、ある夜、ふと手にしたのが、

『美しい老年のために』 中野孝次 であった。

なにも「美しく」ありたいと思っているわけではないが、

先達の意見を聞くことは楽しくもあり、

「潔い老い」、という第一章を読んでみた。

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閑暇がたくさんあるというのは、老年の最高の贅沢、

天の恵みだ。

何をしてもよく、何をしなくてもよいというくらい、人間の

生涯で恵まれた状態はあるまい。

わたしは読書にもその自由を存分に使って、流行・話題の

新刊本には目もくれず、もっぱら古典を読むことにした。

年とともに古典の方が面白くなってきたためで、今はそれが

高じて、毎日『徒然草』を筆写している。

机に正座して墨をすり、すりながら今日書く段を読む。

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なるほど、こういう姿も読書の最終形のひとつなんだ、と感心しました。

安岡正篤氏が、

「朝、心静やかにするために、硯に向かって書をする、

なに、なにも書かないでも、硯を一心に磨るだけでもいいのだよ」、

と言っていたことを思い出した。

やはり、硯をするには目的があったほうがいいので、中野さんのように、

古典を筆写するというのは良いアイデアだと思った。

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大方(おおかた)、聞きにくく、見苦しき事、老人(おいびと)の、

若き人に交わりて、興あらんと物言ひたる。  (第百十三段)

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若い人たちの興味を、自分もわかるかのように言い、

付き合おうとするのは、所詮若者に迎合してようとすることで

見苦しいことだぞ、と言っている。

よく、日本の経営者のなかなどに、老いても若人にまじわり、

新鮮なこころを保ち続けることが大事、自分はそうしている、

ということを聞くように思うけれど、

そんなことは、自然にのっとっていなくて、見苦しいことだ、

とは、会心で気持ち良い。

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老いて、智の、若きにまされる事、若くして、かたちの、

老いたるにまされるが如し。  (第百七十二段)

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まあ、こうありたいものだが、

老いて智がおとり、かたちをいたずらに隠そうとすること、

見苦しいこと、極まりないところ。


次は、老いてからの、物についての兼好さんのご意見。

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賤(いや)しげなる物、居たるあたりに調度の多き、

硯に筆の多き。  (第七十二段)


長い人生を生きてきたあとだから、老人になるととかく身の回りに

物が多く残る、とくにわたしなどの世代は「もったいない」という

感覚を幼い頃から叩きこまれているから、物を捨てることができない。

その結果、家の中はくだらぬ物で一杯ということになりかねない。

兼好は、それを賤しげに見える、と言うのである。

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これを読んで、そのとおりだ、と合点に行かない人は少ないだろう。

僕も、まさに、この賤しげなる人、そのものである。

長い間の「付き愛」であるゴルフに関しては、それを始めて以来、

使ってきたアイアン・セットやウッドの数々を保持している。

後進に捧げたセットも、2,3はあるが、その他は捨てないで

持っている。

そして、さらに長い「付き愛」である、読書の本においては、

自分ながら手に負えないほどの量になってしまった。

なに、貴重で重要な本など、一握りのもの、

ということはわかっているのだ。

離婚して、再独身になったころ、暇をつぶすには、

古本屋めぐりをすることで、

最悪なことに、そのころから、ブック・オフが大展開に

成功して、安手に本が手に入るようになってしまった。

家中、あれよあれよという間に、本に埋もれてしまった。。。


さて、一念発起して、本の整理を始めることにする。

これで、何度目かであるが、(禁煙しようとする人に似て)、

もう後先もないのだから、今度は本気であるぞ!

さて、どうしようか。

目についたのが、江藤淳の『小林秀雄』という本だ。

小林秀雄について、僕はなにを理解していただろう、

と思って、その第一部を読むと、分からなくなってしまった。

この本は、ずーっと昔に一度完読しているので、あちこちに

傍線が引いてあったりして、なつかしみながら読んだのだが。

そこで、小林秀雄の初期の作品、『Xへの手紙』『様々なる意匠』

『私小説論』を読んでみた。

なんだか、ますますわからなくなってしまった。

僕が、なにを理解していたのか、についてである。

どうやら、近代文学の歴史のなかに、

小林秀雄を置いてみなければ、良い理解はできそうにない、

という気がして、

今度は、筑摩叢書の『明治文学史』『大正文学史』『昭和文学史』

を読んでみた。

明治からの日本の近代史を、コインの表とすれば、

その精神史の変遷が、その裏面として、

文学の流れを通して、見えてくる、

そんな読み方になりました。

目的のない読み方なので、集中心も欠けがち、

ここまで読むのに三週間はかかっています。

これから、小林秀雄の精神の形成を理解するために、

非常に大きな影響を果たしたであろう、

親友中原中也の愛人を奪って、同棲し、やがて破綻した

恋愛事件、

これのために、大岡昇平『中原中也』を読むこと、

また、

なぜにランボーが小林秀雄について大事件であったのか、

ランボーを理解するために、

ボードレールからベルレーヌを知る必要もあるようで、

これらの詩も読んでみる、

また、三つめのテーマとしては、ドストエフスキーとは、

小林秀雄にとって、なんだったのか、

ということが大事そうです。

そのところよく時代背景をもって知るには、当時大流行したという、

レフ・シェストフの「ドストエフスキーとニーチェ」を論じた「悲劇の哲学」を

読んでみたくもなり・・・・

とこう書くと、きりがありません。

これでも、ある程度、一貫していると思うのですが、

もちろん大脱線もあり、

小林秀雄と言えば、思い出す名前があって、

彼の弟子だったという、隆慶一郎、

小林秀雄が生前のうちは、手控えていたという創作力が、

師匠の死後、自由に花咲き、

「吉原御免状」以下の伝記小説をたくさんものにした作家がいて、

そのデビュー作の「吉原御免状」を、今回は一気に読んでみました。。。


そんなこんなで、本を整理しよう、という思いが、

僕の若かりし日々の、思いの移り変わりを、再訪するような形になって、

七転八倒しています。

いつになったら、本の整理ができる、ことやら。。。


でも、ま、いいかっ、

な。





^O^


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このキューピーさんの絵は奥さんのゴイ作です。
退職後、ロングステイ先を求めてタイにやってきたのが2008年。あせらず、あきず、あきらめず、いつまでも成長していける心で、豊かに生きることを願っています。

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