2011年10月16日から、このブログを書き始めました。 サマゴーンは、ラムカムヘン通りの北、ソイ110に位置する、 バンコクでも歴史が長い有名大住宅街(と言われているよう)です。 戸数、5000の、キング・プロジェクトで開発された、かなり大きなムー・バーンです。 ロングステイを一歩踏み込んだ生活となりましたので、 都心から離れ、しかし、まったくの田舎暮らしでもない、こういうところもいいのか、 と思って住み始めました。 さて、どんな生活になることでしょうか。

2015/03/28

青木功、という生き方


先日、プロムポンの「ラーメン亭」に行ったとき、

棚に積み上げてある週刊誌「ゴルフダイジェスト」(だったと思う)を

拾い読みしました。

巻頭記事は、青木功選手生活50周年を祝う、という内容でした。

青木選手自身は、プロになってからの最初の4,5年は鳴かず飛ばずだったので、

プロ50周年の感慨は、あと5年たったころにやってくるだろう、

というふうに語っています。

青木選手は、今、71歳です。

自分の過去を振り返っています。

キャディからゴルフの世界に入り、

プロ・テストを受かって、プロとなり、

初めはトーナメントに出場もままならない選手で、

出場できても優勝など遠い夢、のような状況だったらしい。

ある時、ボクシングの白井選手が日本人初の世界チャンピオンになった(1952年)記事を読みます。

「強くなりたかったらトレーニングしろ」

この言葉に刺激を受け、自分を鍛えるようになって、勝てるようになってきた。

あの記事に巡り合わなかったら、今の自分はない、と言います。


青木選手の本を読むと、彼がゴルフに関しては、すごい記憶力の持ち主であることがわかります。

この記事でも、

最初のプロとしての優勝が、デビュー7年目の関東プロだったことを聞かれて、

「覚えているよ、横浜CC,西Cで開催されたんだ。

2日目に12番パー4を1オンに成功したんだ、それを1パットで沈めてイーグルを奪った。

11番パー3はバーディだったから、スコアカードに、4,2,2と書いたのを覚えている。

結局この日は66で回って、通算15アンダーで優勝したんだ」

面白い話は、

「83年に、ハワイアン・オープンで優勝したころは、

パーシモン・ヘッドのドライバーと、バラタ・カバーの糸巻ボール。

頼むから、もうこれ以上、新しいものを開発しないでくれ、と願った。

これでなら、技術で、勝てる、と思った」

しかし、まもなく、距離は伸び、曲がらない、メタル・ウッドが開発された。

「あの男にとっては、計り知れない大きな武器になった、と思った。

(ジャンボさんのことですね)

メタル・ドライバーを最初に見たとき、

ああこれで、俺を含めて日本人の誰もがジャンボに勝てなくなる、

と思ったほどだよ。

パーシモンはヘッドがシャフトより前に出ているが、

メタルはグースになっている。

ジャンボはグースが好きだったからね」


「プロで勝つようになってからかもしれないけれど、

自分に対しての好奇心を持つようになった。

今でも思ってるけど、

『勝った試合に学ぶものは何もない。

負けた試合にこそ何百という学ぶものがある』

それが好奇心じゃないかな。

全部プラス思考ですよ」

ーさまざまな思いでがあると思いますが、

あえて一番良い思い出と悪い思い出をあげるとすると・・・

「そんなものいちいち分けて考えていないよ。

いいのと悪いのは背中合わせに来るんだから。

悪いのがあるからいいのがくるし、いいのがあるから悪いのが来る。

中間なんてないんだよ。

仮につらい経験を重ねたって、人生やめるわけにいかないだろ。

それと同じだよ。

・・・・・

イノベーションだよ。

失敗があるからこそ、クソーッって向かっていくんだろう。

プラス思考じゃなきゃだめだということだよ」


昨年は左足のケガで思うようなゴルフが出来なかったようですが、

それもゴルフの神様が、今後も頑張るためににくれた休暇、

だったかもしれないと思って、

リハビリするのも楽しいんだ、と語っています。

「みんなエージシュートというけど、

72のエージシュートなら勝ち負けにならない。

やるからには、3日間とも60台のエージシュートで回って、

優勝争いにかかわりたい。

かなわぬ恋、欲かき、かもしれない、

年齢相応のゴルフしかできないかもしれない、

でもそういう目標は捨てない」



週刊誌の記事のコピーです。

自分のメモのために記しました。


僕にとってゴルフは「遊び」です。

「遊び」だからこそ、「真剣に」、と思っています。

「遊び」だ、どんなゴルフでもいいや、と思った瞬間から、

ゴルフの楽しさが、

手のひらからポロリと落ちていってしまいそうです。

そうなってしまえば、

この青木選手の記事などにも、

感銘を受けることも無くなってしまうでしょう。


それは、いやだなぁ。


20150328mango
前庭の大木のマンゴーです。
まだ青いので、4月半ばに日本に持ち帰ることができるでしょうか。
喜ぶ友の顔を思い描いたりして。





^O^


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日本ゴルフ会のレジェンドたち

9Pさんは、年代的に、青木功やジャンボ尾崎の全盛時代と重なり、日本ゴルフ界の黄金時代をご覧になれてHAPPYでしたね。

青木と尾崎は相互に強烈なライバル意識を持ち、永年に渡り、口も利かなければ、顔も合わせないくらいの関係にありました。

そんな両雄でしたが、年をとって丸くなったのか?昨年からは2人でチャリテイゴルフ大会に出るようになり、腫れ物にさわるように気を使っていた関係者を喜ばせました。

昨年12月に開催された、青木功のプロ50周年記念パーテイーでは、ジャンボも出席し、挨拶しています。
その時の模様が下記の動画で見れますが、ジャンボの切り返しが相変わらず面白いですね。
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E9%9D%92%E6%9C%A8%E5%8A%9F&tid=b561e18d5f3079b574f4e975f3540867&ei=UTF-8&rkf=2

日本の男子ゴルフ界ではAONというレジェンドが有名ですが、杉原輝雄プロも忘れられませんね。
青木も尾崎も杉原プロにだけは頭が上がらなかったようです。

杉原プロは60歳でガンを発症しましたが、試合に出るために体力が低下する手術は拒否して、68歳で予選通過(世界記録のようです)しました。4年前に74歳で他界しましたが、「マムシ」と呼ばれた稀なる執念は現在のプロ達に伝承して欲しいものです。

石川遼が15歳でプロを差し置いて初優勝した試合では、石川遼が朝一番に練習場に行ったら、既に杉原プロが唯一練習していて遼くんは驚いたそうです。
http://golfmkou.exblog.jp/17216631

Re: 日本ゴルフ会のレジェンドたち

IWATAさん、
良いお話をありがとうございました。
本当に、AONの時代に生きて、ゴルフを趣味にできました。
良かったと思っています。
AONにプラスして、杉原さん、倉本さん、忘れられないです。


> 杉原プロは60歳でガンを発症しましたが、試合に出るために体力が低下する手術は拒否して、68歳で予選通過(世界記録のようです)しました。4年前に74歳で他界しましたが、「マムシ」と呼ばれた稀なる執念は現在のプロ達に伝承して欲しいものです。

中部銀次郎さんがプロになるのを断念した一因に、杉原さんの練習ぶりをみて、プロとはここまでやるのか、と驚愕したため、という話も忘れられないエピソードです。
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このキューピーさんの絵は奥さんのゴイ作です。
退職後、ロングステイ先を求めてタイにやってきたのが2008年。あせらず、あきず、あきらめず、いつまでも成長していける心で、豊かに生きることを願っています。

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