2014/04/10
怒れば、笑え。 アラン 幸福論。
アランが、こう言っています。
「怒りと絶望はまず第一に克服しなければならない敵である」
なんのためにか、といえば、もちろん幸福になるためです。
前にさらりと書きましたが、
今度の旅行で日本から戻る途中、飛行機の上で、
サマゴーンの家の鍵がないことに気が付きました。
それを持っていたのは僕です。
僕が日本の家に忘れてきたのです。
僕は、怒りの気持ちでいっぱいになってしまいました。
隣にいた妻のゴイはいい迷惑で、
僕の犠牲になってしまいました。
「激昂の段階を追っていくと、
それは自分の苦痛を自分の意思で選び取ることである。
自分で自分に復讐することである。
自分の愛する人びとを苦しめて、そしてその自分を罰するために
さらにその人たちを苦しめる。
自分を罰するためにその人たちを罰するのである。
頑なに強情を押し通す。
思い出の中にまで侮辱をさがす。
自分で針をとがらす」。
おれは物忘れがひどくなっている、年寄りだ、
そんなおれにカギをあずけるのが悪い、
なぜそうしたか、
お前の方がおれより物忘れがはげしいからだ、
大体おれの物忘れはタイに来てから、ひどくなった、
おまえから物忘れを移されたのだ。。。
そんな風に思われたのでは、妻もたまったものではありません。。。
どうするか。
「まずは、ほほ笑むことである。
そして、上機嫌に振る舞うのだ。」
そんなこと、できるの?
しなければならない、
というのでしょう。
スピノザのしあわせ思考形式で言えば、
「いいことがあるから、幸福になるのではない。
幸福だから、いいことが起こるのだ」。
「悲観主義は気分によるものであり、
楽観主義は意志によるものである」
とアランは言っています。
「幸福になろうと欲しなければ、絶対幸福になれない。
自分の幸福を作り出さなければならない。」
「幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである。」
「怒りは正真正銘の病気なのだ。」
病気は治療、手当をしなければならないのです。
「ほほ笑む義務を自分に課すのである。
「雨の降る時ほど、晴れ渡った顔を」。
怒りがむらむらと起こりかけたら、
とにかく、
ほほ笑んでみることにしました。
そろそろ、
僕も、まぁ~るくなって、
自分が幸せになる年頃です。
自分が幸せになることが、
妻の幸せに、
つながるわけですから。


^O^
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