2011年10月16日から、このブログを書き始めました。 サマゴーンは、ラムカムヘン通りの北、ソイ110に位置する、 バンコクでも歴史が長い有名大住宅街(と言われているよう)です。 戸数、5000の、キング・プロジェクトで開発された、かなり大きなムー・バーンです。 ロングステイを一歩踏み込んだ生活となりましたので、 都心から離れ、しかし、まったくの田舎暮らしでもない、こういうところもいいのか、 と思って住み始めました。 さて、どんな生活になることでしょうか。

2012/03/17

高倉健と、3・11。

日経Web版のトップ・記事に、高倉健さんの記事が載った。

Web版とはいえ、芸能記事が、日経のトップ記事になるとは・・・。

やはり、その内容が、3・11にも関係していたせいなのだろうか。


とにかく、この記事にこころ動かされたので、

記録のために、書いておこうと、思う。


とにかく、その記事は、下のURL。


健さんは、この大震災を、

「それは、戦後の日本が蓄積してきた経済や社会のシステムがパンクした瞬間でした」

と感じます。

あの敗戦の日々を、ありありと思い浮かべもします。

2010年の暮れにオファーがあり、

動き出していた映画「あなた」への主演をはるにあたっても、

俳優の自分になにが出来るというのか、

という無力感に陥ってしまっていたようです。


そんなとき、イタリアに住む作家の塩野七生さんが、現地の週刊誌に載っていた

写真を紹介してくれるのです。


不器用と「1枚の写真」 俳優・高倉健のメッセージ


20120317makenaiboy


ここからは、健さんの記述です。

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気仙沼の被災地のがれきの中を歩く少年は、避難所で支給されたものでしょうか?

袖丈の余るジャンパーにピンク色の長靴をはいています。

両手には一本ずつ、焼酎の大型プラスチックボトルを握っています。

彼は、給水所で水をもらった帰りなのです。

その水を待っているのは幼い妹でしょうか?

年老いた祖父母なのでしょうか?

私の目をくぎ付けにしたのは、うつむき加減の少年のキリリと結ばれた口元でした。

左足を一歩踏み出した少年は、全身で私に訴えかけてきます。

 「負けない。絶対に負けない…」

私は、その少年の写真をB5版のサイズにしてもらいました。

映画の台本の大きさです。

「あなたへ」の台本の裏表紙にその写真を貼りつけた時、胸の奥からほとばしった熱情。

クランクインは、数日後に迫っていました。


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これを読んで、不覚にも、目頭がジンと熱くなってしましました。

この写真、すごいです。

この少年、すごいです。

弱っていた健さんのこころを、熱情で蘇生させてしまう。

この少年に、感動し、心をすりよせる、健さんも、すごいと、思う。


強さは、年齢に、関係ない。

いつまでも、

純粋なこころを失わない。。。


健さんは、他にこんなことを書いています。

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日本の映画史上類を見ない過酷な撮影といわれた1977年の「八甲田山」では、3年間冬山に通いましたが、最初のロケは25日間でした。

 冬山に慣れているという現地の人が8人加わってくれましたが、彼らはたった一週間で、橋本忍プロデューサーに辞退を申し入れたといいます。

それくらい危険を伴う無鉄砲な撮影だったのでしょう。

この映画に入った年の初詣で、私はそれまで一日80本も吸っていたタバコをきっぱりとやめました。

それくらい自信がなかったのでしょう。

自分が途中で「やめさせてください」と言い出すんじゃないかという不安を断ち切るため、私は嗜好の楽しみと引き換えに何かの力を求めたのだと思います。


1983年の「南極物語」のときは、コーヒーを断ちました。

この作品の前作「海峡」は、青函トンネルにかけた男たちの物語で、身も凍る寒いロケが続きました。

次の作品は、もっと寒い極地での撮影だと聞いて、冗談じゃないと断ったのですが、縁あった女性の死へのやり切れない想いが、日本を離れ極寒の地へと向かわせたのでしょうか、ふと気づけば私は、何も見えないブリザードの中に立っていました。

好きなコーヒーをやめたご褒美は、命の危険と隣り合わせの限界の地から生還できたという余りあるものでした。


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さりげなく、

「縁あった女性の死へのやり切れない想いが」・・・

と書いていますが、

それは、元妻だった、江利チエミさんのことなのだろうか。

江利チエミさんは、1982年に亡くなっている。


今日は、しみじみと、

高倉健の「不器用と「1枚の写真」を、

読んだのであった。



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No title

 瓦礫の中を歩く少年、「負けない、絶対に負けない・・・・・」手助けは出来ませんが
 本当に心から頑張れよ!とエールを送ります。

 高倉健さん、気軽に見ている映画もそんなにも苦労して気を張って撮っていたんですね。
 もう一度「八甲田山」「南極物語」「海峡」・・・、見ようと思います。

 さりげなく最愛の妻の死を述べていますが倭男の見本みたいな気がします。

 日経の記事、見出しは見たんですが読まなかった。
 いい記事を、話を教えて貰いました。

高倉健、だんだん好きになってきます。

トマックスさん、
私は、「冬の華」あたりから、高倉健が好きになりました。
たしか、「あなたに褒められたくて」というエッセイにあったのですが、
「八甲田山」の撮影の厳しさは、想像を絶するもので、お母さんが
そんな酷いことをさせる映画はもうやめなさい、と言うのが口癖だった、とか。
そんな過酷な映画つくりをどうしてするのか・・・そんな映画つくりを通して、
ますます彼という人間もまた鍛えられたのでしょうか・・・。

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このキューピーさんの絵は奥さんのゴイ作です。
退職後、ロングステイ先を求めてタイにやってきたのが2008年。あせらず、あきず、あきらめず、いつまでも成長していける心で、豊かに生きることを願っています。産業カウンセラーの資格を退職後に取得。モットーは、あ・た・ま=明るく、楽しく、前向きに。

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