2011年10月16日から、このブログを書き始めました。 サマゴーンは、ラムカムヘン通りの北、ソイ110に位置する、 バンコクでも歴史が長い有名大住宅街(と言われているよう)です。 戸数、5000の、キング・プロジェクトで開発された、かなり大きなムー・バーンです。 ロングステイを一歩踏み込んだ生活となりましたので、 都心から離れ、しかし、まったくの田舎暮らしでもない、こういうところもいいのか、 と思って住み始めました。 さて、どんな生活になることでしょうか。
最近読書欲が、以前ほど強くなくなってしまって、

顕著な形として、一冊の本を読み終わるまで、

とんでもない時間がかかってしまいます。

掲題の「孔子」を読み始めたのは、今年の始めだったのではないか、

と思いますが、本日、ようやく読了しました。


この本の前に、桑原武夫の「論語」を読んでいて、

論語の解釈にも、様々な、深い形があることを知り、

興味が高まり、

続きとして、孔子の人となり、生きざまを、まず理解したい、

と思って、井上靖のこの本を手に取ったのです。

孔子が故郷の魯を、政争の末、追い出されるように出奔、

流浪の旅を続ける14年を、

そばに使える無名の従僕の目から描いた作品です。

孔子を語るに、歴史家でも、思想家の目からでなく、

作家として、あるいは詩人として、語るには、

こういう形で、当時の、春秋時代という、多分中国の歴史の中でも、

もっとも栄枯盛衰が厳しかった時代を、なまなまと呼び出して見せながら、

孔子の行跡を語る、という方法が、

ふさわしかった、と納得されます。

ますます、孔子に対して興味が湧いて、

今度は、もう一度もどって、

「論語」を語る本を読み継いでいこう、という気になりました。



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私などが感ずる子(孔子)の魅力は、

人間への愛情、正しいことへの情熱、そして、

不幸な人間を、たとえ一人でも少なくしようという執念の如き意志。

こういったところにあるのではないかと思います。

そして、この世に生まれてきた人間が、やはり生まれて来てよかった、

そう思うような社会を造るために、真剣に努力する人間の養成、

ー これが子の教団が陽に、陰に掲げていた旗印でじゃなかったかと

思います。                      P128

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子はいつも、人間のことばかりお考えになっておられました。

人間の倖せついて、不幸について、そして人間が、特にこの乱世に

生まれ合わせた人間が、少しでも倖せになるにはどうすればいいか。

人間が不幸になるのを防ぐには、どうすればいいか。    p327

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ー 朝に道あるを聞かば、夕べに死すとも可なり。

子は本気で、そのようにお考えになっておられました。

あしたに、道徳の支配する理想社会が生まれたと聞いたら、

ゆうべに自分は死んでもいい。  p126

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例えば、上に掲げた最後の、有名なフレーズ、

朝に道を聞かば、夕べに死す可なり。

岩波文庫の、金谷治訳注、よるとこう訳されています。

朝(正しい真実の)道が聞けたら、その晩に死んでもいいね。

いままでは、ぼくも、この訳のように理解していて、

いや、理解できなくていて、この観念論的な解釈では、

じゃ、道とは何?

注をつけた(正しい、真実の)というのは、

観念に、観念を重ねた、より具体性の欠けた内容になってしまっています。

孔子は、きっと観念論は嫌いだった、

いつも現実に即した発想の人だった、という気がします。


その今まで抱いていた解釈のもやもやが、

今回の井上靖の表し方で、たやすく溶けてしまいました。


孔子は、弟子を育て、弟子とともに、この乱れた戦乱の世に、

道徳を基本とした理想社会を築こうとした、

もし、その社会が実現したと聞いたらならば、自分の使命も

達せられたのだから、即死んでもいいよ、

という、抽象論ではない、具体的内容をもって言っていたのだ、

と理解させられました。


ぼくが最も心動かされた部分は、最終章にあります。

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暮方、自分の古里に燈火の入るのを見て、

ああわが古里にも、いま燈火が入りつつある。

村人たちは、昼の労働の時間が終わり、今や、これから夜の休息の

時間が始まろうとしている。 - こういう思いを持って、古里の村に

点りつつある燈火を眺めることは、人間の数少ない倖せの中の一つ

であるに違いありません。

ーーー

そうではありませんか。父が、母が、祖父が、祖母が、兄弟が、姉妹が、

叔父が、叔母が、隣近所が、生きている人も、死んだ人も、

それから村の街道、小川、森、何もかもが、総出で、自分を迎えてくれて

いるのであります。

古里に燈火が入るのを見ているということは、そういうことであり、

これ以上贅沢なことは世に中にあろうとは思いません。

ーーー

いかに世が乱れようと、人間から古里というものだけは、奪りあげては

ならない。もし奪りあげてしまったなら、当然、替わりのものを返さなければ

ならぬ、それが政治というものである。      p404

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ぼくの古里の友人だちは、どうしているだろう。

桜のトンネル並木のしたをくぐって通った、

高清水小学校、高清水中学校は、すでに廃校になって久しい、

と聞く。

あの丘に吹いていた風はどうなったか、

こんなぼくを好いてくれて、

初恋を教えてくれたあの少女は健やかか、、、。


ぼくは、完全に古里喪失人間です。

替わりの古里を、

作る、力を、

我に、与えたまえ。。。








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このキューピーさんの絵は奥さんのゴイ作です。
退職後、ロングステイ先を求めてタイにやってきたのが2008年。あせらず、あきず、あきらめず、いつまでも成長していける心で、豊かに生きることを願っています。

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